ヨーロッパ。多事多難!  2013年  東京 M.C

 

2013年の夏1か月間ヨーロツパを主人とサーバス旅行した。 

当初、ロンドンは計画外でしたが主人が是非行きたいということで行くことになったが、この予定変更でとんでもないことが起きてしった。

 

ホームステイ先は20年位前に息子2人と私で夏にヨーロツパ1か月サーバス旅行した際にお世話になったロンドン郊外のC夫妻にメールしました。 

「20年前に子供たちが忘れていったおもちゃが今も動いているよ。是非いらっしゃい」と直ぐに返事をいただきました。 

 

パリからユーロスターでロンドンに。市内観光をしているうちに気が付いたら夜の10時。記憶を頼りに11時頃C宅に到着。ブザーを押すも奥に明かりはついていましたが応答はなし。後で聞いたのですが3時まで起きて待つていたそうです。 

手持ちの携帯は使えず公衆電話もなく連絡が付きません。やむなく最終バスでロンドンに戻りKings Cross駅で下車。もうすでに午前1時近く。宿泊するホテルを探し始めましたがなかなか適当なホテルが見つからない。そこで2人で別れて探しているうちに主人と逸れてしまった。 

 

私は二晩、KC駅と隣のPANc駅を探し回りましたが会えない。その後、行方不明届を出しに警察署に行く。 

担当の女性のおまわりさんからロンドンに着いてからの一部始終、同じことを何回も聞かれ、また「どうして言葉の出来ない主人と別れてホテルを探すのか」とおおよそ2時間の尋問?私自身も犯罪に関与したかのように疑われてしまった。最後に「ご主人はかつて失踪したことありますか?」「ご主人はお金に困っていませんか?」「ご主人には愛人はいませんか?」と聞かれもちろん答えはノー。 

警察署で電話を借りホームステイ先に事情を話したら「私たちはロンドンのことは良くわかるから力になれる。直ぐにいらっしゃい」と言われ、やっと3日後にホームステイ先に。  

20年ぶりの再会で本来なら喜び合うところでしたが複雑な気持ちで、ご家族には大変なご迷惑、ご心配をおかけしましたが本当に良くして頂き、又勇気付けられました。 

翌朝、朝食をとっている最中に日本大使館より主人が今こちらに見えましたと連絡が入る。

 

3日間のことを聞くと お店や道で数人に話しかけたが言葉が通じず、日本人もいなかつたので、飛行機の飛行方向を頼りに直線距離で往復50kmのヒースロー空港に行ったとのこと。いつも冷静沈着な主人が何ということか。しかし徒歩では空港に入れず、やむなくロンドンに戻り歩いていると偶然に日本大使館の前に着き、駆け込んだそうです。 

主人の持ち物はカード、携帯電話(古い型なので使い方が難しい)、お土産(柿の種等)。水150ミリリットル位。ロンドンの夏はそれ程熱くはありませんが2日間150ミリでは到底足りません。 

外国は日本と違い、水さえも手に入れるのが困難な場合多いです。主人は公園で拾ったぺットボトルの水やコーラを少しずつ大事に飲み渇きを癒したようです。 

1日目はkings Cross 駅のベンチであとの2日間は2時間くらい途中の公園で寝ただけで怖くてそれ以上眠れなかったそうです。 

ホームステイ先に私は3日間 主人は2日間お世話になりました。

 

 

ロンドンを後にパリを経由し南下。途中事故で5時間以上遅れのため急遽 リヨン1泊。 

マルセイユ近くのツーロンへ。以前我が家に来たトラベラー宅に2泊。

 

ご主人は20歳前半だった10数年前に100ユーロを持ち故郷のルーマニアの村を出て徒歩や車で数か月かけて監視の目をくぐりながらフランスに密入国。手が器用なことが幸いし家の修繕などの手伝い等で働いている時に、たまたま今の奥さんの家〔旅行者のためのヴィラを経営〕に修理に来て知り会い結婚したそうです。 

年は20歳近く離れていますがとても仲睦まじく そんなに年の差を感じません。 

 

次は電車で南仏コートダジュールなどの紺碧の絶景ルートを。12時間後ボローニャ着。 

ホームステイ先はやはり数年前に我が家にステイしたご夫婦宅に。

 

ご自宅は駅から徒歩で20分くらいの旧市街にありとても便利なところです。 

奥さんは離婚や暴力などの家庭問題専門の弁護士。ご主人は保険会社勤務。

 

その後、ベローナ経由でオーストリアのザルツブルグとウィーンへ。オーストリアは会員数も少なく範囲を広げて10人以上にメールをしましたが返事はなし。CoordinatorのEさんにメールしたら 誰もいないようでしたら家に来てくださいとのことでしたので2泊お世話になりました。 

御一家はバイオリンも嗜むようです。さすがですね。 

またボランティアでアフガニスタンの10代の男子の身元引受人になっているそうです。彼らは命からがら戦禍を逃れてたどり着き、今は難民収容所に保護されているがいつ退去命令が出るか分からない不安定な状態の中で話相手になったり励ましたりしているそうです。 

 

次はバスで4時間、ドイツのニュウルンベルグへ。この地でヒットラーが戦争開始宣言をしました。 

ホストは60代前後の元英語教師のご夫妻。大学時代に知り合い結婚したようですが今も別性のままです。さすがドイツ。 

次の日にご近所で新築祝いの集まりがあり私たちも同行。ドイツでも日本の田舎のようなことがいまだにあるのには驚きました。ドイツの、地ビールの美味しかつたこと。 

 

次は、ドイツとフランスの国境の町、アルザス地方のストラスブールへ。 

ホストは50代のご夫妻と4人の娘さん。奥さんが車で旧市街地とブドウ畑などを案内して下さいました。帰りにスーパーに寄り肉と野菜を買い、鍋一パイのビーフカレーを作り皆で頂きました。 

翌日はサバが冷凍庫にあるとのことだったので2枚におろし大きなオーブンで塩焼きにしました。彼らは魚にはあまり馴染みが無いようで始めは恐る恐るでしたが、だんだんと美味しい美味しいと言いだして完食。 

 

 次は最後の地パリ。60代の女性2人宅に2泊お世話になりました。 

おひとりは元英語の先生、今は移民のボランティア。もう一方は芸術家(絵描き、彫刻家)。家も結講広いのでたびたび個展も開いているようです。 

元英語の先生は数年前に関西と九州をサーバス旅行されて、その時に日本の文化、日本人の親切と人柄に触れての感動を熱く語り、是非また近いうちに日本に行きたいと言っていました。 

 

これで今回の旅はパリで終わり翌日は帰国です。飛行機は翌日12pmのパリ出発です。 

 

夜9時ごろ空港に着き、マレーシアエアラインのカウンターを聞くと 

「便はすでに正午に出発しています。次の便は明日の正午です」と。

 

そんな冗談を。PM12って夜中の12時のことじゃないの? ああ、なんていうことか。またしても。次から次に起こる最悪の出来事に呆然としましたが主人の「もう起こつてしまつたことをいくら言つても仕方ないので次に何をやることを考えよう」という言葉で我に返りました。

 

翌日エアラインのマネージャーに「こんな12pmなんて書き方をしているので間違えたんです」と抗議したら、 

「丁度 次の便のクアラルンプール行きに空席があるので乗って下さい。もちろん、タダで。」 

しかし、クアラルンプールから日本までは日時の変更料として2人分として

5万円位支払。クアラルンプールに行き2日間空港でスタンバイして待っていましたがこの航空券は日時の変更はできないと言われ(パリでは変更料を払ったのに話が違うと思いながら)新たに航空券を購入しなければなりませんでした。

 

 本当に今回の旅は色々ありましたが、主人も無事であったし、GOOD JOB!!!!!

 

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    HK (水曜日, 04 5月 2016 23:30)

    近田さん、お疲れ様でした。
    旦那様が、ご無事で本当によかったと改めて思いました。
    私も近田さんを見習って、どんな時も冷静に力強く生きていきたいです(^-^)。

  • #2

    Tae (火曜日, 05 6月 2018 17:31)

    旅は色々準備をしていても時々予測不可能な事が起こります。後になって見ればそれも良い思い出ですが、その時はさぞかし不安な思いをなさったと思います。でも色んな人に出会い、助け合い、チャレンジして行ってください!^ ^