ポーランド自転車旅とホストファミリー 舘 浩道

 2010年6月18日、ベオグラードで日本人の自転車集団17人と別れてポーランドのクラコフにやって来た。一度は訪れなければならないと思っていたアウシュビッツ(写真)を訪れたあと、ポーランドとドイツを巡る自転車旅が始まった。

 

 実は、この旅の出発の直前になって自転車仲間の一人が「付いて行きたい」というので、二人旅となってしまうのだが、困るのはホスト泊の場合だ。Yさんは非会員だからサーバスホスト側としては受け入れる義務はないわけで、もちろんLOIもなく、心の広いホストを探すほかない。

 

 「夕方7時に来てください」と云われたクラコフのホスト、アンドリュウさん宅に行くまで、古都クラコフの街をトラムで見て回った。その後、雨が降っているなか自転車は分解・梱包したまま、タクシーで郊外の団地の9階のアンドリュウ(写真左)さんのアパートへ。

 

 2度も来日経験のあるアンドリュウさんは自分で「安自栄 小春茄子」とフルネームを漢字で充てるほどの日本びいき。語源研究が趣味という言語学者でもある。「友達のためのベッドはありませんが、それでもよかったら」とメールをもらっていたので相棒のYさんは床に寝かされてしまった。

 

 ボクもイギリスで玄関の靴脱ぎ場で寝かされたことがある。日本人は来客を泊める部屋がないからと「体面」を気にするが、こうしたことが海外では当然のように行われている。

 

 アンドリュウさん宅では、大学で英語を教えている奥さんが、短い麺が入ったサーモンと野菜のスープ、ポテトサラダの家庭料理を出してくれて、とても美味しく戴いた。現地の人々が日頃どんなものを食べているかもわかるわけで、ボクらが「一緒に飲みましょう」と持ち込んだワインは、夫妻はそれぞれグラス一杯飲んだだけで、ほとんど、ボクらが戴いたようなものだった。

 

 ホストを訪れる、もう一つのメリットは地元情報を詳しく聞けることである。食事中に知ったことはボクらがアンドリュウさん宅に転がりこんだ日が、丁度、ポーランド大統領選挙の投開票日で、テレビでは開票速報が流れ、結果は「民族派」と慕われ墜落死した元大統領に代わって、臨時大統領を務めた下院議長が当選したことだ。この結果でポーランドの政治が大きくロシア寄りに舵が切られるということはないだろうというのがアンドリュウ元クラコフ大学教授の観測だ。

 

 そのアンドリュウさん、クラコフから20キロの所に山荘を持っておられるが、これが今回の戦後最大の大水害で人造湖が決壊し、床上浸水の被害を受け家具や家電用品が粗大ゴミと化してしまった。週2~3回後片付けに通っているといわれるが、ボクはただ「お気の毒です」と、云うばかりだった。

 

 厚かましくも、ボクは大水害を被ったポーランド最大のヴィスワ川流域を北上する計画なので、冠水地の自転車通過は大丈夫ですかと伺ったところ、いまは水は引いているとのことで安心した。「自転車で旅する人は強い人ですね」とのコメントまで戴いた。ポーランドはここ数日小雨が続いている。

 

 2日後、クラコフ大学などを案内していただきながら、市内でアンドリュウさんと「さよなら」をした。彼は、人生の最後のころに日本を訪れることがあるかもしれないと云われたのが印象に残っている。

 

 クラコフを発ち、観光客などが訪れない美しい街に泊まったり、「ポー」と呼ばれるどこまでも広がる平野を駈けぬけ、数日かけてポーランド随一の大河ヴィスワ川の右岸や左岸を走る。

 

 6月27日、ワルシャワのヴィスワ川の長い橋を渡って東地区にあるホストのジョアナさん宅に向かう。事前に電話したのだが、受話が切られたようなので、住所を尋ねつつ到着する。電話が切られたわけは、変な電話を受けた坊やが切ってしまったのだった。

 

 夕方のひととき、ジョアナさんから、ポーランド北部のバルト海に沿って走る際の見どころなどを教えてもらう。おまけに詳しい地図まで戴いてしまった。ジョアナさん一家も8月にバルト海沿岸のサイクリングに出掛けるという。

 

 日本人の訪問は初めてということで、小学生の息子さんや中学生の次女を交えて折り紙や紙風船で遊び(写真)、日本語で名前を書いたりする。ご主人は英語が出来ないので、控えめに静かに笑っている。ボクらはイタリア旅行中の長女の部屋をあてがわれた。Yさんには、また床上のマットレスで寝てもらう。ジョアナさんは明日、早朝にお出かけとかで、「お休み」の挨拶と別れが一緒になってしまった。

 翌日、主な市内の見どころを回って夕方6時頃、ワルシャワ西部のカジアさんのマンションにお邪魔する。ここにはメキシコから、ディビットとヘレンというカップルの先客があり、夕食をともにした。

 カジアさんの3歳の女の子は、ボクがあげた紙風船と無邪気に戯れていた。木製家具の用材関係のビジネスをしているというカジアさん(写真左)からシュチェチンへ出張しなければならなくなったので・・・と告げられ、2泊の予定を切りあげワルシャワを発つことにする。

 ワルシャワからさらに数日かけてポーランドを北上しグダニスクに到着したが、実はワルシャワでお世話になったカジアさんが、最近、グダニスクからワルシャワに引越されたので、他にグダニスクで受け入れてもらえるホストを見つけ出すことは出来なかった。

 

 自転車の旅は線上を人力で移動するので、頼れるホストは限られてしまうのが悩みの種だ。しかし最近はGoogleMapとGPSをうまく活用できるので、ホスト宅を探し出し訪問するのに苦労がない。

 

 グダニスクでは『連帯』運動の史跡やミュージアムを見学した後、バルト海に沿ってポーランド西端まで数日間かけて走り、ドイツとの国境の街、港湾都市シフィノウィシチァに着く(7月9日)。そして翌日は、さらにそこから水路を高速艇でシュチェチンへ。

 

 シュチェチンでも、GPSを頼りにホストのコトウスキー宅へ。訪問すると奥さんのアリーナが挨拶を取り違え日本語で「さよなら」と迎えられ面食らったが、ボクらはアリーナが経営する語学学校の「教室」をあてがわれた。食事はピンク色の蕪のスープとサラダ、それにポテトとベジタリアンだ。ワインが少し出た。

 

 アリーナによると、ポーランドの共産政権が崩壊し、国境がオープンになると、西ヨーロッパへの旅行や仕事を求める機会が増え、それに伴って英語の習得が人々のニーズになってきたという。アリーナが始めた語学学校は大当たりで、小学校の授業を終えた子ども達が200人も通っているという。小規模グループや個人教授で英語のほかドイツ語なども教えている。頂いた名刺には9カ国語が並んでいたが、そのなかに日本語もあった。

 

 アリーナは商売柄、特に言葉に興味があり、いくつかの日本語をメモし、さらに色々な単語を知りたがった。ローカルピープルとの交流や、実際の生活体験ができるので、サーバスのホスト訪問はやめられない。

 

 翌日はアリーナの友人カップルにお世話になりシュチェチン市内観光をしたあと、ポーランドの人々の短い夏の楽しみの一つである湖水浴に行く。クルマで30分ほど離れた森なかにある「リノボ」という湖だ。

 

 湖岸のコテージではコトウスキーさんと、アリーナの語学学校で働く英語教師のマリオシュさんが、バーベキューの支度をして待っていてくれた。食後の時間をのんびりと過ごしたあと、リノボ湖で少し泳いだ。綺麗な湖で10センチほどのずんぐりした魚をたくさん釣っている人もいた。水温は適度で、バルト海のように冷たくはなかった。(写真)

 彼らは泳いでは休み、何かを食べ、話をして、また泳ぐというサイクルを3度ほど繰り返し、午後7時まで湖岸で過ごした。ポーランドの人々は待ちかねた短い夏をこうしたところで目いっぱい楽しむのだ。都心からわずかに30分のところにあるリゾート地で過ごせることをうらやましく思った。

 

 午後8時にコトウスキー家に戻り、ボクは「カレーシチュウ」の支度を始めた。前夜、「もし良かったら」と約束していたもので、日本から持ってきたカレールーをすべて使って、大人6人分と子ども達の大量のカレーを作った。(写真)

 みんな美味しいと喜んでくれた。コトウスキーさんはワールドカップの決勝戦を見ながら、せわしくカレーを口に運んだし、アリーナは「長く居てもっと作って」と云ってくれたし、子どもらも「ストレンジ」と云いながらお代わりをした。

 

 7月13日、ポーランドから陸路ドイツに入り、この旅の最後のホスト、ベルリンのバートホルドさんの高級マンションに転がりこむ。彼は日本人以上に多忙なビジネス生活を送っており、2日間、ボクらに鍵を預けて、冷蔵庫のビールを飲むのも、洗濯機を使うもの、なにをするのも結構といってくれて、本当に自由に使わせてもらった。お礼にと「肉じゃが」を作って待ったが、深夜まで帰ってこなかった。

 

 ボクと相棒Yさんとの自転車旅は、その後、旧東ドイツから西のハノーバーまで続き、約3000キロの長旅は終わった。

 

 (注)このレポートはホストとの交流を中心にまとめたものなので、自転車旅について興味のあるかたは http://cycle.tc/poland.htm をご覧下さい。